2022/04/09 更新

写真a

キムラ タツヤ
木村 建哉
KIMURA Tatsuya
所属
文芸学部 芸術学科 教授

学位

  • 修士(文学) ( 1994年3月   東京大学 )

研究分野

  • 人文・社会 / 美学、芸術論

最終学歴

  • 東京大学    

    1994年4月 - 1999年3月

      詳細を見る

    国名: 日本国

 

主な担当科目

  • ゼミナール〈映画学〉、映画学演習a/b、映画学一般講義a/b、美学・芸術学入門a/b

 

論文

  • 「あるかなきか」の感情を顕現させること:映画作家濱口竜介の生成 招待

    木村建哉

    ユリイカ   50 ( 12 )   147 - 153   2018年9月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(その他学術会議資料等)  

  • 『シン・ゴジラ』という小さからざる映画の栄光と頽廃——「動物になること」と人間の擬人化をめぐって

    木村 建哉

    ユリイカ   ( 2016年12月増刊 )   161 - 170   2016年12月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(その他学術会議資料等)  

  • ヒッチコック『見知らぬ乗客』における欲望/罪の移動の視覚化——深夜の密談のシーンの分析を中心に(3)

    木村建哉

    『成城文藝』   ( 223 )   124(1) - 109(16)   2013年6月

     詳細を見る

    記述言語:英語   掲載種別:研究論文(学術雑誌)  

    アルフレッド・ヒッチコック『見知らぬ乗客』(1952)における欲望/罪の移動が、最終的には視点ショットの共有化によって視覚化されていること、そしてこの視点ショットの共有化は、そもそも視点ショットが擬似的なものであることによって可能となることを、「深夜の密談のシーン」の詳細な分析によって明らかにした。

  • ヒッチコック『見知らぬ乗客』における欲望/罪の移動の視覚化——深夜の密談のシーンの分析を中心に(2) 査読

    木村 建哉

    成城大学文芸学部『成城文藝』   ( 通巻222 )   102(1) - 87(16)   2013年3月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(大学,研究機関等紀要)  

    ヒッチコック監督『見知らぬ乗客』を、欲望と罪の移動というヒッチコックの代表的な枠組みから分析する論文の第2回。この回では、移動が行われる二人の出会いと欲望の移動がどのように視聴覚的に演出されているかを明らかにした。
    なお、最終回となる第3回は、本2013年6月に発表される予定である。

  • 古典的ハリウッド・ミュージカルにおけるミュージカル・ナンバー開始の演出:『雨に唄えば』(1952) を代表例として 招待

    木村 建哉

    成城大学大学院文学研究科『美學美術史論集』   ( 通巻第20 )   203 - 231   2013年3月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(大学,研究機関等紀要)  

    古典的ハリウッド・ミュージカルにおけるミュージカル・ナンバー開始の演出を、『雨に唄えば』(1952)を典型例として分析し、そこでは唐突さの印象を和らげるための工夫がいかに行われているかを、具体的なミュージカル・ナンバーに即して詳細に分析した。

  • ヒッチコック『見知らぬ乗客』における欲望/罪の移動の視覚化——深夜の密談のシーンの分析を中心に(1) 査読

    木村 建哉

    成城大学文芸学部『成城文藝』   ( 通巻第221 )   115(44) - 99(60)   2012年12月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(大学,研究機関等紀要)  

    ヒッチコック監督『見知らぬ乗客』(1952)を、欲望のある者から他の者への移動とその他の者による欲望を実現するための犯罪、そしてその犯罪と引き替えに行われる他の者から欲望の本来の持ち主への罪の移動というヒッチコック作品の代表的な枠組みから考察する3回連載予定の論文の第1回。この回では、論文全体の前提となる、映画史におけるヒッチコックの位置付けと、ヒッチコックの作品史における『見知らぬ乗客』の位置付けを明らかにした。

  • 古典的ハリウッド映画における不自然な「自然さ」:ヒッチコック『裏窓』(1954)の冒頭部分を例として 査読

    木村 建哉

    成城大学文芸学部『成城文藝』   ( 通巻第220 )   73(14) - 52(35)   2012年9月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(大学,研究機関等紀要)  

     アルフレッド・ヒッチコック『裏窓』冒頭の約3分40秒を代表例として徹底的に分析し、古典的ハリウッド映画における「自然さ」がリアリティーに基づくものではなく、観客にとっての分かり易さを目指した、時にかなり不自然なものであり、しかしその不自然さが、これもまた時にかなり不自然な仕方で、巧妙に隠蔽されていることを明らかにした。

  • 孤児の映画、親子の映画——相米慎二における性と生のドラマツルギー

    木村 建哉

    木村 建哉,中村 秀之,藤井 仁子編『甦る相米慎二』,インスクリプト   102 - 131   2011年9月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(その他学術会議資料等)  

    1970年代末から日本を代表する映画監督として活躍し、2001年に亡くなった相米慎二の監督作全13本を取り上げて、それを「孤児の映画」と「親子の映画」という二つの観点から、両観点を関係付けつつ場面における動作等の具体的な演出、物語構造、セリフの体系性等に着目しつつ分析し、相米映画の一貫した世界観を明らかにした。

  • 「ミュージカル映画における「世界の運動」——ドゥルーズ『シネマ』におけるハリウッド・ミュージカルの新たな位置付け」

    木村 建哉

    小泉 義之,鈴木 泉,檜垣 立哉編『ドゥルーズ/ガタリの現在』、平凡社   427 - 461   2008年1月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(その他学術会議資料等)  

    ジル・ドゥルーズの映画論『シネマ』における「世界の運動」の概念を援用しつつ、古典的ハリウッド・ミュージカルを存在論的に捉え直すとともに、それが古典的映画(とりわけ古典的ハリウッド映画)からネオレアリズモやヌーヴェルヴァーグ等の現代的映画への変化において果たした役割と、それが現代的な映画を先取りしていた事実を明らかにした。

  • Gilles Deleuze on Cinema: Duality and Unity of the Cinematographic Image

    KIMURA Tatsuya

    The Great Book of Aesthetics (CD-ROM), The Organizing Committee of the XVth International Congress of Aesthetics in Japan   000 - 000   2003年10月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:英語   掲載種別:研究論文(国際会議プロシーディングス)  

    日本語で発表した論文「ジル・ドゥルーズの映画論──映画のイマージュの二元性と一元性」(『美学』、第183号(第46巻3号)、美学会、1995年12月)の英訳・改稿版。

  • 映画における自己反省作用――ジル・ドゥルーズの「クリスタル‐イマージュ」の概念に拠りつつ 査読

    木村 建哉

    日本映像学会『映像学』   ( 通巻第66 )   75 - 88   2001年5月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(学術雑誌)  

    ジル・ドゥルーズが映画論#ICinema#IRで提唱した「クリスタル・イマージュ」の概念を援用しつつ、映画における自己反省作用が、現在と過去の同時生成という存在論的な次元での「原反省」から生じること、そして自己反省性がなぜ映画においてとりわけ効力を発揮するかを明らかにした。

  • 現実的なものと想像的なもの──「古典的」な映画から「現代的」な映画へ、そして… 招待

    木村 建哉

    日本映像学会『映像学』   ( 通巻第57 )   50 - 64   1996年11月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(学術雑誌)  

    フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの映画論を参照しつつ、古典的な映画(とりわけ古典的ハリウッド映画)からネオレアリズモやヌーヴェルヴァーグ等の現代的な映画への変化を現実的なものから想像的なものへの変化として説明するとともに、新しいテクノロジーの登場による状況の変化についても併せて考察した。

  • ドゥルーズ『シネマ』の全体像

    木村 建哉

    『ユリイカ』青土社   28 ( 10 )   66 - 96   1996年10月

     詳細を見る

    記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(その他学術会議資料等)  

    フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの映画論『シネマ』(全2巻)のシステマティックな構成を、イマージュ論としての独自性と映画史観の独自性という二つの観点から明らかにした。400字詰め原稿用紙換算で130枚以上にもなる長編論文。

  • ジル・ドゥルーズの映画論──映画のイマージュの二元性と一元性 査読

    木村 建哉

    美学会『美学』   46 ( 3 )   12 - 22   1995年12月

     詳細を見る

    担当区分:筆頭著者   記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(学術雑誌)  

    フランスの哲学者ジル・ドゥルーズの映画論『シネマ』を批判的に検討し、そこから、映画のイマージュが本性的に持つ物質性と時間性という二元性が、時間性を優位とする形で一元的に統合されること、また、この過程が古典的映画(とりわけ古典的ハリウッド映画)からネオレアリズモ、ヌーヴェルヴァーグ等々への変化をも説明するものであることを明らかにした。

  • 「ニュー・メディア」と映像の基本的性格の変化

    木村 建哉

    『第1回全国学生交流フォーラム論文集』、慶應義塾大学文学研究科美学美術史学研究室   33 - 39   1995年3月

     詳細を見る

    記述言語:日本語   掲載種別:研究論文(その他学術会議資料等)  

    CG、ヴァーチャル・リアリティー等の「ニュー・メディア」の登場により、映像の再現性と非再現性の間の壁が原理的には取り払われるであろうこと、ただし、これらの新しいテクノロジーは、フィクシャルなものも含めて、却って映像の再現性を高める方向で利用されていく可能性が高いことを、映画記号学者クリスチャン・メッツ、哲学者ジル・ドゥルーズの映画論等を参照しつつ予測した。

▼全件表示